法人後見事業活動事例(5)
事例(5)プライドの高いAさんと、息子から金銭侵害を受けていたBさん
~支援員になったきっかけ~
北九州市に、団塊の世代等を対象とした「生涯現役夢追塾」という学びの場があります。
これは、退職後もその技術や経験などを活かし、社会貢献活動や起業活動などの担い手の育成を目的としていて、私はそこで学び、仲間作りをしました。
ある日、その担当者から社会貢献型「市民後見人」養成研修を紹介され、意を決して受講することにしました。
私の母が介護施設や病院でお世話になった時に、そこのスタッフの方々のお仕事ぶりを拝見して、自分も少しでも人の手伝いが出来る仕事をしたいと思ったのがきっかけでしたが、聞き慣れない法律用語、専門用語がどんどん出て来て、帰宅後に辞書をめくっては意味を理解するという苦労の連続でした。
研修終了後、北九州市社会福祉協議会の採用面接を受け、幸いにも支援員に採用していただきました。
~支援員をする上で気を付けていること、大切にしていること~
私は、永年営業の仕事についていました。人と接する仕事をする上で大事にしてきたことが、2つあります。一つ目は、相手の気持ちになって考えること、二つ目は、出来ること、出来ないことをはっきりと伝えることです。
これは、支援員の活動でも通じることがあるのではないかと思っています。対象者の中には、認知症や知的障害をお持ちの方々もおられます。しかし、特別な人では無いのです。いつも心がけていることは、普通の人に、普通に話をする、それだけです。
~私が担当しているAさん~
私は、法人後見事業において二人の方の担当となり、活動しています。
1人目はAさん。私と同い年の67歳の男性です。
音楽大学を卒業後ピアノの調律師をされていたそうです。娘さんが一人おられましたが、20数年前に離婚し奥さんが引き取ってからは、一人で生活をされていました。
北九州市に移り住んでからは、音楽から離れた仕事に就き、定年後も数年間は嘱託職員として働いていたようです。収入は月に約11万円の年金のみ。趣味は読書とクラッシック音楽鑑賞とのことでした。
Aさんが自宅にて意識不明の状態で倒れていたところを知人が発見し、緊急搬送され、そのまま入院となりました。大量飲酒の後遺症により若干の記憶障害が残ったほか、杖歩行となり、要介護1と認定されました。
Aさんは、約5ヶ月間の入院を経て、介護付有料老人ホームに入所することになりました。
その頃、親族との関わりのないAさんは、自身で成年後見制度の申し立てを行い、北九州市社会福祉協議会が補助人に選任されて、私が彼の担当になりました。
~Aさんへの支援を開始!!~
翌月、当センターから専門員、後見担当専門員、私の計3名でAさんとの初回面談を行い、補助人としての同意権・取消権、付与されている代理権及びこれからの後見業務の進め方などをAさんや関係者へ説明しました。
面談の中で、Aさんから、ワンルームマンションを借りて自活したいとの話が出ましたが、自宅での生活がとても酷い状態だった(酒類の空きビンが大量にあり、汚物なども散乱していた)ことから、一人での生活は厳しいのではないかとの意見が出て、Aさんは何とかそれに納得したようでした。
また、Aさんの収入を考えて、収入に見合ったXという軽費老人ホームへ移ることになりました。
当初、Aさんは、「ここにはピアノもある、本も沢山ある、運動器具もある。」と喜んでいたのですが、入所してすぐに不満が出てきました。「ここの食堂へ行くとみんな年寄りばかりで、その光景を見ると、途端に食欲が無くなる。」と言うのです。
そこで、当センターの専門員や施設の職員とも相談して、Aさんに日中の活動の場としてデイサービスを勧め、通うようになりましたが、1~2度行くと「あそこはいやだ。自分が嫌いな演歌が流れている。」と言い出し、拒否するようになりました。
それではと次の対策を考え、「このホームの希望者にピアノを教えてはどうですか。」と提案し、Aさんも賛成してピアノ指導のボランティアを始めることになりましたが、これも長くは続きませんでした。ピアノを教えるというより、演歌の伴奏をお願いされるようになり、Aさんの熱が冷めてきたからです。
~相反する理念の狭間で・・・~
その頃から、Aさんは飲酒のほか、隠れて自室で喫煙もするようになりました。XホームはAさんの対応に苦慮していたこともあり、Aさんの好きな図書館が近くにある別の施設を探し、入所出来ないか交渉してみましたが、費用が高かったり、保証人がいなかったりして入所出来ませんでした。
Aさんは、今でもひとり暮らしを強く希望していますが、これも、アパートの保証人がおらず、叶えられていない状態です。
後見人は、「自己決定権の尊重」と「現有能力の活用」「ノーマライゼーション」という3つの基本理念のもとに活動しなければなりませんが、一方で「本人保護」を行う義務も負っています。Aさんの希望とそれを叶えられない現実にぶつかり、相反する後見人の理念の狭間に、この制度の矛盾を感じたりもしています。
~息子から侵害を受けていたBさん~
2人目はBさん。80歳代の女性で、認知症がありグループホームに入所されています。
もともと、Bさんは地域福祉権利擁護事業の利用者として、当センターの金銭管理・生活支援サービスを利用していました。
当時は、他の支援員が担当しておりましたが、息子さんの暴言や暴力、金銭侵害などで、経済的にも精神的にも大変な状況であったようです。息子さんは、Bさんの名前で借金をしたり、Bさんから生活費を取り上げたりしていました。
Bさんのご兄弟もBさんのことを心配されていましたが、息子さんが怖くて手出し出来ない状況でした。
そこで、地域包括支援センターの職員がBさんに成年後見制度の申し立てを勧め、ご本人の申し立てで、北九州市社会福祉協議会が補助人として選任され、私が担当になりました。
~Bさんと接する中で・・・~
Bさんは若い時から詩吟や剣舞などをされており、お祭りの時や施設の慰問などで活躍されていました。そのような時、ある男性から見初められたのでしょう、押しかけ弟子を希望され、後に、その男性がご主人となられたようです。そのお話をされる時のBさんは本当に嬉しそうです。
現在、グループホームに入所していることは、息子さんには知らせていません。息子さんがBさんを探し当てることのないよう、一時はご兄弟にも知らせていませんでした。その後、息子さんの方も生活が落ち着いて来たのか、Bさんを探すようなことも無くなりましたので、ご兄弟には入所先を知らせ、面会に来ていただきました。Bさんも喜んでいたようです。
息子さんがBさん名義で借り入れた借入金の返済がもう少し残っていますが、ご主人が残された遺族年金で経済的には安定しています。
施設にも馴染んでこられた様子で、お話をされる友達も増えてきました。月に一度、私が訪問する際には、たまに悔やみ事も言われますが、いつもはとてもさわやかにお話をされます。ただ、認知症が少しずつ進行しているようで、その点が少し心配ではあります。
~支援員としてのやりがい、今後の活動についての思い~
後見活動においては、ご本人が少しでも良い方向に向くように、関係者と相談しながら色々な方策を考えています。今度は少し良くなったかなと思えば、いやまだまだ・・・と、一喜一憂の繰り返しです。でも、このプロセスは将来の糧になると思いますし、やりがいでもあります。
支援員を始めて3年3ヶ月が経ち、退職までの期間の方が少なくなりました。今後は活動で得た知識や多くの方々から頂いた知恵を活かし、少しでも地域の役に立つ活動に取り組んで行きたいと考えています。
ある書物に載っていた禅寺の和尚さんの言葉で、「人の究極の幸せは、人に『愛されること』『ほめられること』『役に立つこと』『必要とされること』」とありました。究極の幸せになれるように努めようと思っています。