コラム15
被災地をたずねて【第2回】
2011.05.30
5月3日(火)から5月10日(火)まで、東日本大震災で被害を受けた岩手県釜石市に行ってきました。災害弱者といわれる高齢者や障がい者がどのような生活をしているのかを、この目で確かめ、相談にのるためです。私が見た被災地の現状をお伝えします。
1 権利擁護の現状
釜石市社協・権利擁護センターを訪ねた。
釜石市社協は基幹社協で、管轄は遠野市、釜石市、大槌町の2市1町、権利擁護センターも同地区を担当。同センターは、専門員が1名、支援員9名で50件以上(現時点で65件、内46件が釜石市在住者)の契約者を支援している。
国の基準によれば35名に1人の割合で専門員を置くようになっているが、国と県が各2分の1負担する補助金では増員は難しいとのこと。権利擁護センターは、保健福祉センターの8階にあり、同じ建物の2階が地域包括支援センター、3階から7階までが病院となっており、地域の保健・介護の中核となっている。
今日の訪問は地域包括の所長補佐の口利きで実現でき、所長補佐とセンター専門員の二人から、1時間半程度にわたり釜石市の権利擁護の現状等について話をきくことができた。
釜石市の地域包括もご多分に漏れず、高齢者虐待対応等についてシステマティックに行うよう厚労省から文書で通知を受けているようだが、震災前までは前回報告した体制でも十分に対応できていたようだ。というのも、新日本製鐵(下請けを含め)に勤務するために他県から転入してきた人たちで地域に溶け込んでいない場合を除けば、それぞれの地域がしっかりしていて、自治会、民生委員から支援が必要な高齢者や虐待疑いの情報が直接サブセンターにあがり、地域包括の指示に従ってサブセンターの保健師と包括の主任ケアマネや社会福祉士が地元民生委員等と共に対象高齢者宅を訪問する体制が確立していて、分離が必要な場合にはそれに対応することもできているとのことだった。
震災後も1つの地域ごとに避難所が設置されているという印象。
津波でさらわれたサブセンターもあるが、その場合、センター自体が地域の避難所内に臨時窓口を開いている。どこの避難所でもいえるが、そこには地域の世話役(自治会長)たちの目が行き届き、避難所を出て、アパートや津波の被害を免れた自宅、親族の家などに移動する人たちの把握と、移動先の地域を担当するサブセンターの保健師等への連絡もなされているようだった。
日常生活自立支援事業も、専門員と支援員とで避難所を移動する利用者の所在確認や、津波等で汚損や紛失した預金通帳の再発行等の手続きに追われているが、ここでもサブセンターの保健師が協力・連携しているようだ。しかし、もともとの過剰な受託案件とも相まって大変な状況のようだった。
今後、成年後見制度の利用を迫られることが予想されることから、受け皿の必要性を感じつつも、その担い手不足が否定できない。後見人候補者の確保が急務。
2 避難所の生活
私が宿泊している避難所(対象者のほとんどは地元の平田地区のみなさん)は廃校となった高校を利用しているが、震災直後300人以上いた避難者も現時点では74名(子ども、知的・精神障害が疑われる人はいない)で、体育館組と宿泊設備のある別棟組とに分かれていている。何らかの支援が必要と思われる高齢者(10名)はゆっくりと休める別棟に避難しているが、我々を含めそれ以外の人は体育館で雑魚寝状態。ただ、雑魚寝状態といっても、低いパーティションで仕切ることは可能だったようだが、避難所の皆さんが希望しなかったとのこと。
この避難所には(地元のサブセンターが半分津波に流されたため)臨時のサブセンターが設置され、夜間を除き土日を含め保健師ら(釜石市高齢介護福祉課の職員も週に2~3日)が常駐して、行政や医療関係者との連絡窓口や、避難者の困りごと相談にのるなどの対応をしている。また、海外青年協力隊に所属しているボランティアが2名(土日は千葉県や埼玉県の実家に戻ってリフレッシュしている)派遣され、避難所に避難していない地域の住宅をローラー作戦で訪問して、サブセンターの保健師らに報告している。数日避難所に滞在して分かったことだが、この体育館に避難している被災者の中にも認知症の周辺症状と思われる被害妄想がでている人が2名、認知症を疑われる人がいそうだが、保健師らもそのことを把握していて本人の見守りと配偶者へのケアを行っている。別棟には私の知る限り明らかに認知症の高齢者が2名、配偶者と避難していて、いずれもアリセプトを服用している。
地域には「あいぜんの里」という特養があるが、ここは福祉避難所と化していて、身障者や認知症高齢者らが避難し、ヘルパーが支援にあたっているようだ。
3 様々な支援を必要とする被災者
避難所の保健師に話をお聞きしたところ、地域で問題を抱えている高齢者世帯の大部分は同居の擁護者等に知的や精神障害を疑われる場合で、障害福祉課の担当者と包括の保健師・社会福祉士とで家庭訪問の回数を増やすなどして対応しているものの、擁護者に精神科等の受診を促しても受け入れてもらえず、なかなか手帳の取得等福祉サービスにつながっていないようだ。
震災後は、一旦、避難所に避難したものの自宅のダメージが少ない人たちは自宅に戻ったり、集団になじめない人の中には未だに被災を免れた自家用車の中で寝起きをしている場合もあるが、保健師らが声掛けと食料の支援をしている。このような人たちは、避難所の近くに駐車していて容易に安否を確認することができている。また、被災後、異常行動をとった1名が医療保護入院となっている。
地域包括や行政職員が懸命に高齢者や障がいのある人の支援にあたってはいるが、現状はハンディキャップがある人たちへの対応という以前に、先の見えない被災者に対する精神的支援や支援物資の管理・配布で手一杯という感じ。
この避難所は釜石市の平田地区(南側の最初の入り江)に立地している関係で避難者の多くは漁業に関係する人たちで、働き盛りの男性たちを含め“もうダメだ”という雰囲気が漂っている。彼らにとって破壊された住宅の再建以前に元の海戻すことに対する絶望感が支配しているように見える。地域では瓦礫の処理に従事すれば日当(7500円程度)を得ることができるが、自治会長が浜の男たちに声をかけても働こうとせず、一日、何することなく数人が薪を囲んで酒を飲んでいる。このため保健師もアルコール依存にならないかと心配し、当初は声をかけていたようだが、今は時期が来るのを待つほかないという感じだ。
目の前の海の底にはヘドロが溜り、海底を掃除しないとホタテの養殖やウニ漁の見通しすら立たないというのが現状で、定置網はすべて流され、多くは瓦礫の中にあり、定置網を設置するために購入した2億円の船も使用不能の状態、漁業再生には高いハードルがあることも事実だ。しかも、このような状況で、漁協の正組合員と準組合員間の調整、正組合員でも年齢層に考え方の違い(50代までの世代では、漁業を再開したいという意見が多いし、70代以上では、これ以上の借金をしても先が長くないので意味がないという意見(特に後継者がいない組合員の大多数)、高齢の組合員が離脱する場合には漁協が財政破たんする…等の深刻な内部問題があるようだ。