法人後見事業活動事例(1)

事例(1)困ったときは、支援員へメールで相談してくるAさん

私は今、法人後見事業において、後見2件と保佐1件の、計3件を担当しています。その中から、一例をご紹介したいと思います。

~私が担当するAさんについて~

成年後見制度と言うと、認知症高齢者のイメージが強いと思いますが、私が担当するAさんは知的障害のある20代の女性です。
学業にもなかなかついていけなかったAさんは、幼少期からいじめに遭っていたと言います。また、Aさんには記憶障害もあります。炊飯器でご飯を炊いても、気が付いたときには腐ってカビだらけ。ガスの火も消し忘れてしまうので、周囲から、調理での火の使用をきつく止められています。就労しても、仕事の内容を覚えることが出来ず、何か所も短期解雇を言い渡されてきました。

~成年後見制度の利用に向けて~

成人したAさんは、幻覚、幻聴の症状により不眠がつづき、近くの精神科を受診することになりました。その後も、いくつかの病院を受診し、何件目かで今の主治医に出会いました。
その主治医はAさんの病状や置かれている生活環境が分かり、「今のままでは、ひとりでの自立した生活が困難」と判断し、社会保障制度利用の申請に動いてくれました。療育手帳の取得に続き、障害基礎年金の申請をしようとした主治医は、Aさんの預金残高の減少に気付きました。
Aさんは、お金を貸しても、返してもらったかどうかも忘れ、人を疑うことを知らず、金銭を要求されるまま渡して、取られた金額すら記憶に残っていません。主治医は、このような権利侵害をなくすため、母親を申立人とする成年後見制度の申請を働きかけ、平成24年5月、本会を保佐人とする審判がおりました。
保佐は、通常は代理権は無く、同意権と取消権のみですが、Aさんの場合は、後見に近い代理権が付与された保佐類型です。

~担当支援員としての活動~

その翌月、私はAさんの担当支援員となり、書類や溜まった郵便物の整理に取り掛かりました。多数の国民年金の払い込み用紙もそのままで、滞納額が100万円を超えていました。契約した携帯電話も3台あり、インターネットや電話料の督促状も複数ありましたので、整理、解約をして、必要な支払いは口座振替に切り替えました。

Aさんとの連絡は当初電話でしたが、訪問日時を忘れて、いくらチャイムを鳴らしても玄関の鍵が開かなかったことがありました。今は事前にメールで訪問日と要件を伝えます。Aさんはそれにアラームをつけて備忘としています。記憶を補う外部記憶装置です。
月1回、生活費を持って訪問し、Aさんの話をじっくり聞きながら生活の状況を把握し、体調や受診服薬状況を確認しています。その他に、必要に応じて受診に立ち会ったり、色々な手続きに付き添ったりすることもあります。
Aさんは躓くことが多く、私は大学病院の予約を取り、検査に立ち会いました。結果、てんかん等の異常脳波は認められませんでしたが、知能指数は9歳から10歳程度、中等度の知的障害との診断でした。直近のこの診断結果をもとに書類を作成して、障害基礎年金の申請をしました。

支援員とAさんが話をするイメージのイラスト

Aさんから、時々メールが来ます。「さみしいので、動物飼えますか?」「お葬式に持って行ける黒いバッグはどこに行ったら売っていますか?」・・・。Aさんが、メールでいつでも支援員と繫がっているという安心を感じてくれていれば幸いです。
しかし、生活の中で生じる様々な相談ごとやAさんの疑問に対して、メールや電話で説明し、解決することには限界があります。Aさんには、家族に代わる、安心できる相談相手が身近に必要だということを強く感じています。担当して1年5か月が経ちました。彼女を支えるネットワークの構築が急務です。

笑顔のAさんのイメージイラスト

そんな中、「彼が出来た」とツーショットのプリクラを見せながら、満面の笑みで話してくれました。Aさんは、病気のことも包み隠さず彼に話しているそうです。屈託なく、素直でまじめなAさんを、ありのまま受け止めてくれる青年であってほしいと思っています。そして何より、Aさんに心躍る “今”という(青春らしい)日のあることをうれしく思います。
Aさんは、今も精神科の服薬はしていますが、受任当初と比べて体調も安定し、表情も明るくなりました。

~後見活動に携わってみて思うこと~

このAさんのように、被後見人が若ければ、これからの人生、後見する期間も40年、50年になります。それを、個人が後見し続けることは極めて難しいことです。
しかし、社協が行うような「法人後見」であれば、情報を共有した専門員とのチームプレーで支援しますので、相談しながら担当し、次の支援員へのバトンタッチも、被後見人に不安感を与えることなく容易ではないかと思っています。
成年後見人の職務は財産管理に主眼が置かれがちですが、身上監護あっての財産管理だと思っています。後見人には、被後見人の意思を尊重し、生活環境を整え、生活を支えていく職務があります。

老若男女が手を繋ぐイメージイラスト

このように言うと、市民後見人になると大変な重責を担うように感じるかもしれませんが、特別難しいことではありません。普通の人の、普通の生活を後見するのですから、私たち生活者による後見が基本だと思います。そして、この基本の部分で、被後見人のほとんどのことがカバーできます。市民の出番がここにはあると思います。
社会には様々な事情を抱える人が共存しています。市民後見人として、3人の支援員をさせていただいていますが、人生の先輩である被後見人の方からは、いつかは自分にもめぐってくるかもしれない状態を、その方の「今」から学ばせてもらっているなと感じています。そして、Aさんからは生きていく環境の大切さと、障害があるなしにかかわらず、持てる力で一生懸命生きようとする尊い姿とその可能性を感じさせてもらっています。本当に感謝です。

~実母の後見人として~

余談ですが、私は今、主人と実母、それに父母の可愛がっていた猫という家族構成で暮らしています。平成20年7月、父が他界。その時、母はすでに要介護4でしたので、事後の諸手続きの為、4人兄弟の末っ子ですが、私が母の後見人になりました。現在、母は93才。長谷川式認知症スケールは0。全介助の車椅子生活です。加齢に、大病や骨折を経て徐々に認知症が進んできました。

長年、母を誇りに思い頼りにしてきましたが、人は何が出来るか、自分に役に立つかどうかではありません。介護される側になっても、どんな状態でも、母らしさは今も変わりません。存在していること、それ自体が、大きな意味を持っています。
その時、私たち周囲の者が出来ることは、母の今を、ありのまま受け入れること。そして、自分がそうありたいと思うように、今をよりよく生きようとする手助けをすることだと思っています。

夫婦二人がかりですが時々、墓参や、ドライブに連れ出します。高速道路の動く車列、サービスエリアで遊ぶ幼児、散歩の犬・・・視界が変わると表情も反応も変わります。母の生きいきした顔から輝いているなーと感じ、私たちも嬉しくなります。

10か月ほど前、咀嚼、嚥下能力が極端に低下し、食事を摂ることも出来なくなりました。ターミナルケアをどうするかという話し合いも、医師としたほどですが、今では、ミキサー食に経腸栄養剤で補いながら、穏やかな日を過ごしています。現在は、デイケアや、月1回の往診と、訪問看護を受けています。

私が支援員を続けられるのは、母の頑張りと、夫の全面的な介護協力があるからです。今後も、支援員活動を続けながら、限りある母との生活を楽しいものにしていきたいと思っています。